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カント―世界の限界を経験することは可能か カント―世界の限界を経験することは可能か
熊野 純彦 (2002/11)
日本放送出版協会

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生まれて初めて哲学書と呼べるものを読んだ気がする
昔から、こういう体系じみたものを学ぶのは抵抗があった
何かオリジナリティーなるものが丸め込まれてしまう気がしていたからだ
同時に、自分が考えている事なんて、とうの昔に考えられているのではないか、という事が怖かった

しかし、脚本を書くにあたって、思考が行き詰まっており、仕方なく、自分が考えている事に近い本を何となく読んでみる事にした

生協のブックセンターで何気なく取った本に「世界の限界を~」と書かれていて、うん、これだー、と思った
少し運命めいたものも感じたので買った

果たして、まさに自分が考えていた様な事だった
「世界の外に出る」「神」
は自分にとって最大のテーマなわけで、まさにこの2つについて、徹底的に書かれている本だった

結構いろいろな事も書かれているのだけれど、自分にとっての必要な部分は「世界の外に出る」という事なので、それについて

世界の果てとは、個々人の経験する世界の果ての事なのだろうか
もしそうだとすると、僕らは常に世界の果て(境界)にたっている事になる
なぜなら、僕らの経験は日々更新されていて、自分の世界は日々広がっているからだ
たとえ引きこもりの人だって、それは同じ事だ
まぁかなり主観的な議論ではあるが

時間的にも境界にいる、という事はできる
しかも、時間の場合は時間が自分の内側に向かって流れている、というニュアンスが強いと感じる
体験された時間は脳の中に経験として蓄積されるからだ

一番興味深かったのは、最高存在についての議論である
「私は神である。では私はどこから来たのか」
というパラドックス?は、心揺さぶられるものだった

まぁ、誰しも朧げに思う事なんだろう
しかし、それを体系化する事が偉いね

とにかく、最高存在はどこからきたのか、という循環は興味深い
カント曰く、それが理性の限界であり、理性の自己認識であるらしい
なるほど、と思った
理性とは有限なもので、しかも癖を持ったものだ
それに気づいてカントは「純粋理性批判」(カントの代表作)を書いたんだろうね
カントはおそらく世界で初めて理性の外に出た人間なのだろう
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2006.12.10[Sun] Post 02:04  CO:0  TB:0  活字  Top▲

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